「人生遅すぎる事はない」の本当の意味

この慣用句は、ある程度の年齢に達してから、何らかの夢や目標に向かって再スタートする時に使われます。「遅咲き」という類似の言葉もあります。
ですが、この慣用句の本当の意味を理解している人は少ないです。

これは「遅い」から「年齢」を思わせる慣用句ですが、実は、年齢に限らず「自分の今、持っている条件で最大限努力して、到達可能な範囲に目標を定めた場合にだけ」通用するものです。
例えば、プロのサッカー選手を目指そうとなると、幼い時から始めていても、プロになれない人の方が圧倒的に多いです。これを確率論と言います。
※参考成功する人は、成功が全体の何%といった、倍率・確率論は度外視している

夢を叶えた=成功した人というのも、同じ理論で、自分の生まれ持った能力・才能のレベルで、最大限努力して到達できる位置・領域に「夢」を設定したので、実現できたという事です。もっと言えば、自分が他の誰よりも「勝てる領域」で最大限努力したから勝てたという事になります。この「勝てる領域」の話は既にネットで多くの方が発言されています。

過去に戻れない、時間は未来に進む以上、現在の自分が一番若いので、何か始めるのであれば「今が一番早い」になります。
ここで他人を持ち出すと「他人=大多数の挑戦者(例:幼稚園から中学生)よりも、ずっと遅い始め時」であるが、他人を持ち出さず「自分だけ」で考えると「自分の中では最速」で、遅すぎでも何でもないです。

しかし、肝心なのは「何を始めるか」。何を目標にするのか、いつ始めるのかは全く別の次元の話です。
従って「人生遅すぎる事はない」は何をするのか内容を含んでいないので、全く意味のない慣用句です。過ぎた時間を言い訳にして、悩んで足踏みしている時に使う慣用句で「時間」しか表現していません

私は、身体の若さ・体力や気力、生活に必要なお金等の諸条件が揃えば、どのジャンルの夢であっても、挑戦はできると考えています。もし「歳をとらない人」なら、受け皿さえクリアすれば挑戦権は獲得できるので、努力で成れないとは言い切れないのです。
※参考「実は、時間の経ち方は人によって異なる」「歳をとらない人の「世界」の見え方

人生、きっかけを待つ事は絶対に勧められない

絶好のタイミングは人によって異なる


BY Angel-Broadcasting

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