行動や考えが多数と違う人は、世界の見え方が違う

前提として、人はそれぞれの環境や立場によって、同じものを見ても違う解釈をする

これは「多数とは違う」ではないですが、まず、人は同じものを見ていても、それぞれ違う受け取り方をするという話をする必要があります。
よくあるのが「僕の感想と君の感想は同じはず」という人がいる事です。
映画のようなコンテンツだと、確かに、調査の結果、特定のシーンで泣いた人が多いとか、選曲が良かったとか、特定の俳優の演技が素晴らしいとか、そういうのは共通性があります。

しかし、例えば、建築物、例えば、六本木ヒルズの場合、
殆どの人は「東京にある」「高層ビル」「でかい」とか言いますが、こういうものだと、人の環境や立場によって感想が変わってきます。
地方の農村部から来た旅行者で東京が初体験なら「有名な会社が入居している、凄い」とか言うかもしれません。しかし、そこで勤務される人だと「日常の場所」なので、凄くもなくなります。
勿論、最初のうちはそう思うかもしれませんが、多少、ステイタスは感じても、慣れてくると普通になってしまいます。
また、東京に対するイメージも、地元の住民だと、人が多すぎるとか、満員電車が嫌だ、という話が出ますが、地方の人は、そういった負の情報は日常の生活に関係なく、東京の良い情報が先行します。

地元で嫌な思い出がある人は「嫌な街」だ、となりますが、そこで儲けたとか有名になれた、という思い出があれば、地元に対しては良いイメージを持ちます。

日本でも治安の悪い地域はありますが、外国と比べれば非常に安全です。Los Angelesの住民から見れば、日本は安全な国として見ます。LAの犯罪は日本の比でない程に凶悪で、麻薬路上者もうろつき、常に殺人や強盗、更には銃の犯罪もあります。
日本人から見れば、日本国内の治安の悪い地域に住むのは躊躇しますが、LAの住民から見れば全く大した事がない、これも「見え方が違う」です。

生まれてから、ずっとお金持ちだった人達から見れば、日本の経済格差や相対的に中間層が減っているというのはどこまで実感があるかですが、周囲にそういう人がいない限り、リアルに肌で感じないでしょう。ネットや本、TV等で情報を知るのと、リアルに当事者を知るのとでは感じ方が違います。

華やかな業界にいる、女優やモデルは、常に撮影される、ステージに立つ側にいます。ステージやスタジオで出演した経験のない人は、カメラ側や観客側の見え方がわかりません。テレビ番組にしても、視聴者は娯楽として見ていますが、出演者からの見方は、全く違います。仕事なので、常に緊張しています。

このように、環境や立場によって「同じもの」に対しても見え方が全く異なるのです。

そして、行動や発言、考え方が、多数派とは違う人は、世界の見え方もその人独特の見え方になります。

誰も頭の中は確認できないが、どういう行動をとるかで、人の頭の中の世界が判る

人の脳の中は誰ものぞけないですし、脳を解剖しても、その人が考えていた事、特に「世界の見え方」など判らないです。しかし、判るのは、その人が表現したり、行動・発言した時です。

作家は文章にて、漫画家は絵と物語にて、紙やデジタル媒体に表現しますが、これは作者の頭の中で考えて構成した世界を現実に見える形にして判るものです。
それでも、作者の発想や世界観全ては、具現化したものだけでは到底見通せないですが、ほんの一部は知る事ができます。

世界の見え方=世界観というのは、例えば
「フランスは遠い異国だ」と言うAと「フランスは同じ地球上にある身近な国だ」と言うB。
人に対しては「英王室は遠い世界の会えない人達だ」と言うAと「英王室であれ、同じ地球人じゃないか」と言うB。
環境や業界に対しては「芸能スターは特別な人で商品」「トヨタは大企業で我々は中小企業だから全てが違う」というAと「芸能人であれ一人の人間で元は無名だった」「トヨタも個人商店も同じだろう」と言うB。

ただ、日本に限ってですが、なんとなくですが、Aの世界観の方が圧倒的な気がします。
これは、外国は我々とは異質な場所、特別な地位や階級にいる方は我々とは接点がない、社会的影響力のある会社・その上層部、有名人は我々とは接点がない…というもの。
そう、自分達と関わりのない所は、同じ世界にいるのに、いないというのが「狭い世界観」です。これは、業界とか領域で「壁を創って仕切りたがる」人です。

こういう考えが強いと、外国の文化や風習を理解できない、僕らには関係ない、異質な民族や国籍、人種の人、もっと狭い領域だと、直接関係のない職業の人達の気持ちまで理解できなくなります。
極端な例でしたが、接点がない、として、狭い世界しか観ようとしないと言う事です。

つまり、人や集団に対して、自分とは直接関係あるなしに関わらず、皆同じだ、同じ世界に生きている、と捉える人は「見えている世界観が大きく」その真逆であれば「見えている世界観は小さい」となります

また、報道される悪事を働く者も同じ地球どころか同じ日本にもいます。怖い集団だって、独裁政権の国だって同じ地球上にあります。
狭い世界を見ると、異国で戦争や紛争が起こっていても、意識も無いです。

アメリカのGAFAと呼ばれる会社の創業者やそこで働く方々は、恐らくですが、見えている世界観は大きいでしょう。これは、GAFAに限らず、多くの会社で「お金を動かし、仕事を生み出している」人達は皆そのはず、というより、そうでないとやっていけない、入社すら出来ないです。

外国語を話せる、日本以外に興味を持ち知ろうとする、というのは広く世界を見ています。
極端に言えば、関西から出ないなら標準語は話せなくていいは、狭い世界です。

芸能界においても、外国進出しようとか、ハリウッド、パリコレ目指そうという人は「広い世界観」です。そして、その為に必要な勉強や習得をします。更に、その過程で「広い世界観」の人達と接するようになります。
しかし、日本国内の地方限定でタレント活動しよう(※注:それが悪いというのではないです)なら、上記のような勉強は必要なく、観る世界が狭くても良いのです。
寧ろ、地域密着であれば、その地域の人に愛されるために、地域限定の知識を得ようとします。

プロ野球やサッカーでも、地元の球団に入るのが目標か、メジャーリーグやプレミアリーグ目標では、それぞれの見る世界が違います。

つまり、広い世界を見る人程、高いものを求めている、挑戦意欲があるという裏付けにもなります。

しかし、広い世界を見ていても「行動しない」とそれは「妄想・空想が大きいだけ」になってしまいます。
何も行動を起こしていないのに「俺は特別な人間だ、地位ある人や有名人と知り合いだ」と言う人が稀ですがいます。言葉にはしなくても心では思っている人はかなりいるでしょう。
行動を起こさず、誇大妄想だけが大きくなると、現実の乖離が大きくなり、社会に承認されていない等身大の自分が許せなくなる危険性があります。

※参考「自己愛性」の特徴に当てはまると悪なのか?

また、結果が出ない、自分の期待通りでない場合、他人のせいにしてしまう人がいます。
例えば、オーディションや作品の投稿で「審査員の見る目がない」と言う人です。
現代は、ネットで自分発信する事も可能ですが、サイトや動画を観るのは、自分ではない他人なので、他人のせいにしてしまう人は、他人に支持されないものしか発信できないのではと思います。

こうなると、漫画家の場合「俺は連載して、人気漫画家になるのが当たり前だと思っていた」作者だと、現実との乖離に不満を持つようになります。
「出版社や編集部は俺との友人だ」という世界観を持っていれば、編集部のジャッジが自分の思惑とは違う方向なので、不満を持ちます。つまり、この世界観は「他人・組織も自分の思い通りにできる範囲」という世界観だったのです。

こういう人は全人口では少数ですが、行動や発言にて判る事があります。
故に、行動や発言が、良いにしろ、悪いにしろ、全人口の多数派ではない場合は、その人の頭の中にある「世界観」が多くとは異なるのです。

多くの人の頭の中の「世界観」は細かい所は違っても、概ね似ています。それは、世界の殆どの人が、自分の表現=世界観で商売していない、組織の一員として働いている、自営業を営んでいるか、その家族や子供達だからです。
また、先述したGAFAのような会社のスタッフは世界の中では少数です。日本にも「世界観を広く持った」スタッフはいますが、殆どの職務は、世界を広く見る事が求められるものではないです。

世界の見え方は、その人の宗教・宇宙観にも通じる

人の生死から、この世とあの世が、天国と地獄が、魂や霊があるとか、この宇宙は唯一神が創造したとか、そういうのも「世界観」です。
日本では、先祖の供養やお墓参りは仏教として行う家庭が多いですが、こういった宗教観も世界観の一つです。
キリスト教と仏教、イスラム教を信仰する人なら、それぞれの「世界の見え方」は違います。

ですが、例えば、神や仏が存在しないと考える人は上記の見え方とは全く異なります。科学だけが絶対な実証だとする人もそうです。
タイムマシンは論理上は、未来は無理ですが、過去に戻る事は光速を超えれば可能とされます。問題は、光速に乗って物質が崩壊しないかです。これは信じる人は、そういう世界観です。そして「過去改変は既に行われた上での歴史軸にいる」と言います。

自分が夢を叶えられたのが「努力の結果だ」と言う人と「努力だけでなく運が良かった」という人でも違います。「努力すれば報われる」派の人は、自分が「勝てる領域」であり、様々な成功要因が一致して成れた事実には気づかず、本人は「努力だ」と言います。
しかし、「運や縁といったものもある」と言う人は、上記のような事をわかっているので、世界の見え方は異なります。

人間の本質は善だと言う人と、人間は悪で欲深いと言う人でも全く違います。後者の場合、なんだか人間は汚い存在のように思う人ではないかと思われますが、そうではなく、人間が、欲望、嫉妬によって犯罪や戦争、悪口を言う事が起こるのであれば、その本質を理解していないといけない、という人類に対する世界観です。だから、そういう人には「皆仲良く」とか「皆、いい子になって世界を平和にしよう」は否定します。
人間の本質は善だ、と言う人は、世界はキレイに見えますが、何らかで覆されたり、理想が実現しないと、その反動があります。無償で愛を与えられるような余程の超人でない限り、この考えを貫くのは難しいです。また、優しすぎるために、騙されやすい、欲まみれな人が周囲にいると損しやすくなります。

実は、全ての人は自分中心にして見ているが、それを公では言ってはならない

まず、私の話ですが、私は好き嫌いが激しく、特化分野しか興味がなく、またこれまでの人生経緯も多数派ではない歩みなので、世界そのものや世の中の現象に対しての見え方は、極めて独自色で客観的ではないと自覚してます
恐らく、それは「世界の見え方」があまりにも全人口の多数の平均とずれている「自分を中心にした見え方」だからでしょう。

「自分がこの地球からいなくなっても、地球は動き続ける」という言葉があります。これは完全な客観的思考です。しかし、私としては、自分がいなくなれば地球を認知できないので、地球は無いという考え方です。
この考えに批判は当然あるでしょう。しかし、全ての人間は、本音を隠しているだけでそう思っているはずです。
だからといって、他人に迷惑かけるとかではないのですが、自分中心にした世界観は否定する人が多いのが不思議です。※特に日本人の場合

こういう事なので、私は、昨今騒がれている発達障がいか何かではないかと疑う事があります。ADHDの方は「世界の見え方が違う」と言われてます。また、そうだと名乗る方が、上記の私と似たような事を述べておられるサイトを見かけるので、感じるのですが、特に私はそうであるとの診断は受けていません。更に、人の言葉に過敏なので、HSPも該当しているでしょう。

自分中心に世界を見ている人は、その見方が歪むと、集団行動・社会生活において、問題になる事あります。

学芸会を例に挙げると、配役は自分ではない他人・審査員が決めます。しかし、自分中心に世界を見る人は、自分の役割が自分の意に合わない、例えば、主役を引き立てる役割だったり、モブ的な役割であれば、受け入れがたくなります。王子様の役や、自分が監督であれば納得するかもしれません。
そのため、自分中心の世界観が強度な人は、俳優をするのは難しいので、どちらかというと、ミュージシャンや作家に多い気がします。
俳優は一人では成り立たない、共演者がいるからある存在です。共同作業です。

会社員の方や、仕事が嫌で辞めたと言う方の中には「社員は社会の歯車とか、機能の一部にすぎない、奴隷のようなもの」と言う人がいます。
自分が大きな存在のパーツというか、一機能になるのが、感情的に許容できない、というものです。

自分中心に世界を見ていると、トヨタもサムスンも自分と対等な存在と思うでしょう。それはどう思おうと自由なのですが、それが強度になると、そこで雇われて働く気はないとか、仮に多く報酬を与えても仕事しないでという態度に出ます。自分が上下において、下の立場になるのを嫌う、という事です。
どうしても、上下関係が厳しい、会社のような形態で働きたくないなら、それを選ばなければいいだけです。

自分は「世界人類の一員」「この会社や国民の一員」と捉える人は、当然、大多数です。自分を中心に世界を見る人は、歪んだ見方をすると、自分が一員である事が許容できない、特別な存在だから、という事で、孤立してしまいます。

それでは、歪んでいない「自分中心に世界を見る」とはどういう事でしょうか。
それは、他人に敵意を見せない、そして組織に対しては上下や自分の役割を意識しない見方です。

先ほど、俳優の話を例に挙げましたが、俳優というのは、自分の役割や立場云々よりも、一つの作品を完成させる事や、共演者との出会い、演じる事でお客様に夢を与えているという事に誇りや喜びを感じます。
かけがえのない仲間がいたり、自分を理解する友人や恋人がいる方も多いです。そのため、自分の収入とか立場を、他人と比較して、どうこう言う人は殆どいません。
自分の役割を意識するのは、他人と比較するのが原因です

他人も「自分を中心に世界を見ている」と考えても妥当なのは「自分の命、自分の夢、自分の身体が一番大事だから」です。
何らかの夢があるとして、それは誰の夢を叶えるのか、勿論、自分の夢です。他人の夢を叶えさせるためにサポートする役割もありますが、大抵は自分の夢です。他人の夢を叶えさせるのも素晴らしいですが、その段階は、自分の夢が叶わないと普通はできません。

そのため「自分だけでなく、誰もが自分を中心に世界を見ている」と捉えれば、人間関係・社会において何が必要か理解できます。
それは、お互いを「主役」として尊重し、認め合い、傷つけあわない事なのです。

BY Angel-Broadcasting






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