日本は安心・安全な国なのに、生きづらいと言う人が増えている理由

他人の言動に敏感な人、様々な環境に順応できない人が増えた

職場で、目上の者や同僚等からハラスメントが発生し、社員が訴訟するような事件は、実は近年始まった事ではなく、かなり以前から存在していました。
一概に言えないですが、昔、90年代以前において、こういった報道が少なかったのは、二つ理由があります。

まず、ハラスメントがあっても黙認され封じられていたか、社員が訴える事もなく我慢していたのではないかという可能性です。それは、当時は「2020年代の今ではハラスメント」とされる事でも当時ではハラスメントと見なされない空気感が支配していたからです。また、会社によりますが、景気が良い時代は給与も上昇していたので、お金で妥協していた方もいたかもしれません。
そして、訴えたとしても、その会社にいる以上、他の職場に転籍できても「周囲の目が厳しかった」事もあります。ただ、当時は今ほど競争社会ではなく、転職するというのは今よりもハードルが低いはずなので、ハラスメントがあれば、そこに拘らず、直ぐに他の仕事に転職していたのかもしれません。

もう一つは、ハラスメントがあったとしても、受けた方がそれに気づかない、ハラスメントと捉えていない可能性です。つまり、現在では「暴力的な言葉や態度」とされる言動に対して、古い言葉ですが「打たれ強かった」のでしょう。

このハラスメントと捉えない、ですが、以前、あるスポーツ競技の選手が、コーチに対して「ハラスメントを受けた」として訴えましたが、他の選手は同じ事をされていても「ハラスメントと思わない」と語り、議論の的となりました。
体育会系の領域では「身体で覚えさせる」「暴力的な言葉は当たり前」という空気感は現在でもあります。これは、建設業等の職場でも同様です。そうでもしないと、人をまとめる事ができない、個々の精神力を養う事ができない、という理由です。
但し、行き過ぎた体罰で、生徒や選手、弟子が入院したり、亡くなるという事件もありました。
「慣例」とは言え、そこまでに行きつくとハラスメントを超えた犯罪になります。

難しいのは、そこまで悪質でない場合、上記の人によって「ハラスメントでない」という声がある事です。ハラスメントは「受けた側」によって決まるものなので、例えば、部活で体罰があっても、部員の殆どが「暴力ではなく愛のムチだ」と言っても、一人でも「暴力だ」と感じればハラスメントになります。

また、女性に対するセクハラについても、例えば、近年は芸能界、映画・ドラマといった現場において、出演女優がスタッフや共演俳優からセクハラを受けたと訴えたという報道もあります。
芸能界においては、昔からかなりのセクハラ行為はあった、というより「慣例的」に存在していました。また、それをセクハラと思わず、受け入れないと芸能界でやっていけないという空気がありました。
全くの憶測の域ですので、可能性レベルの話ですが、枕営業のような行為はお互いの同意なので、我々はこの現代でも「絶対に無い」とは断言できません。但し、これは、一方的な強制であれば暴力で犯罪ですが、お互いの同意で、成人女性であれば犯罪にならないです。
しかし、常識的に考えれば、女優というのは、その人そのものに商業価値があるのでイメージが落ちるような事は、事務所としては極力避けるのが普通です。
ですが、当事者で内密に行われる事は、誰にもわからない、また、それを知る人がいても限定されて、政治力がある程、事実はもみ消されてしまいます。これは、枕営業だけではないです。

それに対して、セクシー女優と言われる方々ですが、その全員が自らの希望で成人向け動画に出演しているのかはわかりません。報道では「嫌だった」という声も出ています。
しかし、中には自らの意志で、お金を稼げて有名になれるのだから、という理由で出演する女性もいます。そういった女性は「セクハラ」と受け取りません。
つまり、本人の意思か、そうでないのか、それは「内部事情」なので外部の者は判断がつきません。

こういった地位や権威を使って、自分より立場が下の人に対して、威圧的・暴力的な言動をする事が全般的にハラスメントですが、もし、昔の人の多くが、現在ではハラスメントとされる程度でも耐えていた、またはハラスメントと思わなかったなら、日本人が相対的に、他人の発する言葉や態度に過敏になった、繊細な人が増えた事になりますが、私の見解では、それ以上に「立場関係なく、悪い事は悪いとはっきり言おう」と立ち上がる人が増えたからでないかと思います。

私も人の言葉や態度に敏感です。

80年代始め頃、日本のTVドラマは当時の不良・ヤンキーを描いた学園ものが多く、漫画においても、全体的に「男くさい」雰囲気のある作風が多く「武士道」「根性」を描いた作品もありました。
しかし、現在は「草食系男子」と言われるように、日本や韓国では、男子もメイクをして白い肌が好まれるようになり、かつて女性が興味を持つジャンルにも男子が参入するようになってきました。また、近年の筋トレについては「外見をカッコよく見せる」「健康」という意味合いで「本人の楽しみで行う」ものであり、かつての「根性で強制的に鍛え上げる」のとは違います。

90年代以降、TVドラマの大半は女性視聴者向けとなり、漫画は、男くさい作風は減り、女性にも人気のある作風がヒットするようになりました。
勿論、2000年代にも「男くさい」作風は存在していましたが、次第にマニアだけのニッチジャンルとなっていきました。
これは「人生の苦労・根性を歌う演歌」が廃れていった事と同様です。

芸能界の中で大御所として残っている方々の中には、今でも昔の常識を通そうとする方がおられます。「俺たちの時代はこうだった」と言います。
しかし、どの業界であれ、そういう人達はお役御免となります。
そして、某芸能事務所の問題が明るみになったように、欧米の高度な人権・倫理観というものが、日本に深く浸透していくにつれ、変わらざるを得なくなります。

ネットでは、自ら「HSP」と名乗り、社会に適合できなかった方がブログ等を発信されているのを見かけます。芸能人の中にも「HSP」「発達障がい」である事を発表された方が何人もおられます。
ミュージシャンは繊細な方が多いとされます。繊細=感受性が強く、感じた事を曲に換える創作力がなければ、人の心に響くような歌を歌う、曲を作る事はできません
ですから、昔の男性ミュージシャンは「ハラスメント」があらゆる領域でまかり通っていた時代は、今以上に生きづらかったのではないでしょうか。

このように、職場や領域によって、環境が違います。まず、そこに集まる人も違えば、言葉遣いや人間関係における常識が違います。
昔の日本人の多くは「食べていくので必至」な人が大半なので、職場等の環境は二の次でした。現代のように仕事を自分の希望で選ぶ人は少なく、住んでいる場所や適性によって決めていたのです。そして、多くが知人の紹介や、地方からの集団就職、家業を継ぐというものでした。だからこそ、入った環境に順応せざるを得ない、というより、それが普通だったのです。

ですから、高度な生活水準と文化レベルを手にした現代に、それを無理矢理当てはめようとするのに無理があるのです。

なお、お隣韓国は、社会背景が違います。現在も休戦状態で、強烈な学歴社会です。厳しく躾られた男子も多く、上下関係が厳しいだけ、組織や学校においても体育会系の領域が目立ち、ハラスメントは日本以上にあると思います。
但し、韓国でも、甘やかされた子供もいますし、他人の言動に敏感な方もおられますが、社会が異なる韓国と日本を比較しても意味はありません。

情報化社会と報道のし過ぎ

ネットで個人が発信する事が可能になったので、例えば、Google検索で「毒親で苦しんでいる」という発信が多くヒットすると「そういう家庭が多いのか」と思ってしまいます。
また、TVのニュースも同じで、連日、凶悪な犯罪を観ると、この国も悪くなっている、と思ってしまいます。

しかし、犯罪発生数は「昔」よりも減っています。それなのに「昔」より事件が多い、治安が悪くなったのではと感じるのは何故なのでしょうか。

まず、昔の犯罪件数が多かった時期とは、まだ日本が経済成長を続けていた時期で、今よりも生活水準が低い家庭が多かったです。そのため、強盗や窃盗はかなり発生していました。
また、治安の悪い地域はとことん悪く、地域そのものが貧困層で占められていましたが、現在はそういった地域は改善され、外部の人も入り込んで、治安は格段に良くなっています。
また、交通マナーが今より悪かったのは、道路等の交通インフラが整っていないという理由があります。
次に、バブル期以前は、暴力団などの組織的な犯罪が多かったです。こういった反社会的な組織は、資金がなくなり、結束力がなくなると弱体化します。つまり、バブル崩壊で打撃を受けた暴力団が多く、そういった組織ぐるみの犯罪件数が減ったのです。
現在は、プロ組織が背景にあるとはいえ、暴力団ではない一般の人、特に、ネット時代で育った90年代生まれ以降の人が特殊詐欺、学生が薬物を栽培して売買をしている時代です。これも情報化社会の影響です。
また、先述したように、経済成長期よりも暴力的な男性が減り、喧嘩も減っているのではという見方もできます。更に、誘拐や身代金目的の犯罪も減っています。

しかし、それでも「以前」より治安が悪くなったと感じるのは、まず、凶悪な犯罪の動機が短絡的だったり、精神的に疾患のある方がしている例が増えた、そして、未成年や子供、学校内での犯罪が増えた、また、技術・情報化社会の進歩による軽犯罪や、未成年の女子が巻き込まれる例が増えた為です。
それに加えて、報道ではなくリアル世界で、公共マナーが以前より悪い人が増えたと感じる事です。この「以前」というのは、犯罪数が多かった「昔」の経済成長期ではなく、80・90年代頃を指します。
90年代後半は平成不況ですが、それ以前はまだバブルの余韻が残っていました、日本経済にまだ期待感、楽観的な空気感があった時期で、その頃は、個人的な犯罪は少なかったかもしれません。
日本人多数が平均的に経済格差も少なく、お金に困っている人も僅かだったので、お金目的の犯罪も少なくなります。また、今よりも家庭環境が良かった家庭、親らしい親が多かったと思います。

また、TVはネットニュースとの競争で、日本中で起こる犯罪の殆どを網羅し、取材し、報道しています。昔は取材力も速報性も無いので、全ての犯罪について報じられなかったですし、地域の犯罪はローカル局だけで完結していました。
しかし、TVにおける一番の理由は、報道番組の長時間化と、バラエティと報道の区別がない番組の増加で、全放送時間のうち、一つの事件について採り上げる時間が長いからです。

そして、近年、公共マナーが悪いのは、全ての世代に言えますが、高齢者の増加により、必然的に公共マナーの悪い高齢者も多くなっています。それでも、中国等の外国に比べれば、公共マナーは良い方ですが、以前の日本人の平均な公共マナーが世界的には極めて良すぎたのでそれと比較してしまいます。

これは、次の「場所構わずに自己中心的な人が増えた」で説明します。

以前より、日本人の公共マナーが平均的に悪化しているのなら、それは「場所構わずどんな事をしても良い」という考えを持つ人が増えたからです。
「KY=空気読めよ」という言葉があります。私も気を付けないといけないですが、TPO、時と場所と人に応じて、話す言葉や内容を適切なものに変えないといけない、という事ですが、何故か「欧米の自由主義」「個性の時代」を間違った意味で解釈した日本人が増えて「犯罪にならないなら、どんな事をしてもお咎め受けない」「公共マナーの悪さは人によって基準が違う、多大な迷惑かけない程度なら許容されるべき」という考えの人まで出てきました。

よく、中国では「人の多いスーパーでは、人を押しのけてでも前に進むのが普通」とか、アメリカでは「自己主張しないとやっていけない」を曲がって解釈して「日本人は自己主張無さすぎだから少々強引でもいいじゃないか」「外国はそれが普通で日本が変だ」という事を言う人がいて、実際、公共の場で「自分の事しか考えずに行動・発言」する人が増えているという事です。
中国人や韓国人、アメリカ人の自己主張は「意見をはっきり言う」「言うだけでなく自分の意志で行動する」であり、それを勘違いしているのです。
そして、中国等では日本人よりも公共マナーは悪いので、それを真似る事もなく、寧ろ、中国人は日本の公共マナーの良さを絶賛し、模範にしようとしています。また、中国でもマナーを守る方は多くおられ、日本と同様かそれ以上に公共の美化を徹底している場所もあります。

「個」の時代で、自己主張する人、他人はどうでもいいという人が増えた

一部のYoutuberやTikTokerが、アルバイト先でふざけた動画を投稿して問題になりましたが、これも倫理観の無さからです。
但し、昔はネットも動画投稿サービスも無いので、こういった犯罪は起こりうる事も無かったですが、もし、90年代以前にこの条件があれば、やっている人はやったのではと思います。
つまり、今は情報化社会なので「少しふざけただけ」で「犯罪」になってしまう可能性があります。昔はアルバイトで悪戯をしていても、公に判らなかったかもしれないのです。
また、逆に、発信手段があるので「悪戯をしてしまうきっかけ」を作ってもいます。
全国に報じられるという事で、そういった公共マナーや倫理観が欠如した人達が「増えた」と感じる事も原因としてあります。

自分都合で言動する人が増えれば、当然、学校や職場といった人間関係のある場所では、衝突も揉め事も悩みも増えます。
かつてはお互いが、特に成人後の日本人が「譲り合っていた」「合わせていた」「本音と建前をわきまえていた」人が多数で、現在は減ったのであれば、確かに、上下関係や人間関係で悩み、精神的に病んでしまう人が増える、ネット上にストレスのはけ口として愚痴を言う、悩みを書いて救いを求める、煩わしい人間関係から離れて不労所得得たい、という人は増えます。

他人の事はどうでもいい、という人が増えたかどうかですが、例えば、何らかの凶悪な事件が発生して、現場では被害者が苦しんでいるのに、スマホで動画を撮影したり、野次馬的に見物するような人達がいます。
そういう人達は日本人の中では少数だと思いたいですが、これもスマホ等の道具がなければ、彼らはしないでしょうか。恐らく、スマホが無い場合は、助けもせずに無視するでしょう。また、スマホに撮影するのは、個人的な趣味だけでなく、Youtube等に投稿して広告収益をあげるためでしょう。
つまり、ネットで広告収益あげるという手段が悪用されている例です。お金を稼ぐためなら手段を選ばない人が報道されているので「昔より日本人は低レベルになった」と感じてしまいます。

もし、今の日本人が「公共の場や職場で自分勝手な言動をする人はいない」「昔と変わっていない」「そういう人と接して不快な思い等したことない」と言う人であれば、その人の「取り巻く人の環境が良い」か、他人の言動を気にしない「図太い人」なのかもしれません

同調圧力や協調性を求める環境が多い

現代でも、新入社員にお花見の幹事や場所取りをさせるような職場もあるそうですが、つまり「領域によって」は昭和の時と変わらない、風習や慣例を続けていて、それに合わない人は辞めていく、または妥協しているようです。

ネットでは、短期で会社を辞めた方の理由の一つに「時間の無駄となる飲み会や付き合いが嫌だった」という声があります。
飲み会というのは、業務以外の機会において、親睦を深めるという意味合いがありますが、仕事をする理由が「単にお金が必要だから来ている」「一生、会社にいるのではなく、関係のない所に人生の目標がある」という方が増えています。
そして、会社の上司や同僚は、人生の目標とは接点のない存在なので、深く付き合う必要はない、と考えます。
こういった方にとっては、業務以外の時間はなるべく「自分の時間」に費やしたいはずで、例えば、何かを目指していれば、その習い事や人との交流に時間を使いたいはずです。
つまり、業務以外の時間まで付き合わされるのは束縛となるので、社員のような束縛のない、アルバイトや派遣社員を選ぶ若者が増えています。

先述の「個」を主張する人が増えたので「自己主張」が強くなった人が増えた、に関わりますが、旧来からある慣例に「NO」というのも日本では「自己主張」と誤解する人が多いです。
現代の日本は、少しづつ、多様性、ダイバーシティの方向に向かっていますが、それでも旧来の世界観を持った人達はかなりいますし、年長者だけでなく、それが当たり前とする若者もいます。そういった若者は旧来の環境に疑問も無く、素直に適応してきた人達です。

そのため、個々のいる環境によって、持つ常識、人生観というのが乖離しすぎています。

昔の日本人、殆どの人が似たような価値観や人生観を持っていましたが、それは「地域」「家庭」「学校・部活動」「組織や職場」といった単位を軸に、自分の人生設計をしていたからです。勿論、現代でもそういう人達が大半ですが、徐々にそうでない人達は増えてきています。そのため、上記とは違う所に「自分の人生の目標」を描く人は、少数派とされますが、一定の領域にはそういう人ばかりが集まっています

そのため、学校や職場といった場所は、お互いが違う常識、世界観、人生観を持った人同士が集まっているので、互いに深い関係性を持ちたくない、自分の気の合う仲間、自分のやりたい方向性で出会う仲間だけ付き合えばいいという人が増えています
同調圧力は、個を強制的に変えるもので、個を強く持っている人にとっては、苦痛です。
だからこそ、同調圧力が強い学校や職場が、日本に多いのなら、個を強く持つ人は、周囲から見れば「協調性がない」「もう少し歩み寄れよ」と言いますが、本人にとっては「生きづらい」のです。

年齢・年代で「こうあるべき」という固定概念を持つ人がまだ多い

日本は、大学3年から新卒採用に向けた就職活動が始まりますが、このような形態があるのは私が知る限り日本だけだと思います。また、この体制はかなり昔から継続しています。(※学歴社会の韓国は、進学校でない限り、大手企業には入社できないシステムなので、普通の学校は大手に入れる枠すら無いと思います。)
日本でも、学歴を基準に、大学と高卒、中卒では、初任給が違う事や、そもそもの大手企業に正社員で入社できるのは大卒に限られるので、高卒以下の学歴だと、正社員は中小企業やサービス業、工業・建設の現場系、他は派遣社員やアルバイトが多くなってしまいます。

近年、家庭環境の為に進学が叶わなかった若者が増えています。これは本人の努力の無さではなく不可抗力です。しかし、採用側としては過去の経歴で判断しています。
ある人は「学歴は本人の能力と努力に比例する、そうでないなら超例外」と言いますが、その発言者は、超例外ではない事を何も知らないのです。恐らく、自分の周りにそういった人がいないから言えるのでしょう。
また、奨学金の問題もあります。家庭が経済的に余裕がないと、奨学金を利用して、就職後に返す事になりますが、高額程年数がかかる事、就職後に何らかの事情で辞めてしまい、収入が不安定になって、返せなくなった例もあります。

この新卒採用というのがあるので、23歳という年齢が就職に最も適した年齢という概念生み出しています。これは、義務教育の期間が固定されているのと同じです。しかし、仕事をして収入を得るのと、学校は全く違います
収入を得るのは、根本の理由は「お金が必要」だからです。多くの人が生計を立てる為に働いしています。「会社に貢献したい」「ここが好きだから」という動機は素晴らしいですが、明日食べるものが無い人、家賃を払わないといけない人にとっては「とにかくお金を得るために何かしないといけない」のです。
ですから、新卒採用の風景を見ていると、明日生きるので精一杯の人から見れば、シビアさが無いように見えます。
そもそも、学生の多くはそれを「なんとなく」「皆がしている」「親がそのために大学まで行かせてくれた」という理由で就職活動しているのではと感じます。

仕事というものが、年齢的な若さと、大手企業で比較的待遇が良い、学歴が味方してある程度職種は選択できる、というのは有利な状況です。
ですが、それでも会社に入社して「辞める」人が多いのは、上下関係やハラスメント、会社そのものに「不適合だった」からでしょう。
そのため、最初から会社で働く事に不適合であれば、大学の新卒であれ、高卒であれ、会社というシステムで仕事するのは限りなく不可能に近いです。
だから、私は新卒で高学歴が有利とかは一度も思った事がないのです。

例えば、美容師になりたい人は、親が美容師・理容師している割合が高いですが、専門学校に入り、そこから店で修業して、将来的には家業を継ぐか、開業します。美容師は国家資格なので一生使えます。
しかし、高学歴で新卒入社しても、商売できる国家資格も技術も無いです。あるのは学歴と難関大学まで行きつくだけの学力と知識です。ただ、それは、社会に出て生計を立てるのに役立つ機会は少ないです。
新卒採用者が就く職業の内容は、事業分野関係なく、殆どがオフィスで、事務・開発研究・営業です。建設・運送業・工業系でも、現場スタッフに正社員はおられますが、高学歴の新卒者は「環境や業務内容がキツイ」のは選びません。また、販売業は殆ど正社員ではないです。

歌手になる人は、親が水商売や飲食店をしていた場合が多いです。ある歌謡曲歌手は幼い時から歌謡曲を聴いて育ちました。そこで才能が育ったのでしょう。
目が不自由なある男性ピアニストは、幼い時にお母様がその素質を見抜きました。そして、現在では世界的に有名なピアニストになっています。
ですが、高学歴で大手企業に入社しても、技芸を商業にするだけの才能はありません

このように考えると、社会に出てからの年収比較やローン等の信用を除けば、高学歴で大手企業にという道を歩んだからと言って「全員が幸せになれるのではない」という事になります。
言い換えれば「会社適合する資質のある人」「どんな仕事でも嫌と思わず続ける人」であれば、なんとかやっていけるのであり、会社員として、家を買ったり、結婚・子育てできています。国としては、税金や社会保障費を払ってもらいたい、子供を増やしたいので、そういう人を歓迎します。
なので「会社が嫌で辞めた」のは全体の少数です。ネット発信やTVの報道は「以前より増えている」とは言え、少数派です。
※参考「会社員に絶対合わない人はこういう人」
なお、アメリカでは「会社員」という名称は無いです。具体的な職業名を言います。
そして、日本での会社員というのは、公務員、アルバイトではない、正社員・派遣社員を指す、それもオフィス系の仕事をしている人のイメージですが、決してそうではなく、ファミレスで正社員で勤務される方も会社員になり、大学の図書館で働く人が営利企業の派遣社員ならば会社員です。

そしてこれらは全て、新卒に代表されるように、日本は、社会で活躍するための関門は、年齢・年代でジャッジするというのが未だ残っています。年齢・年代は全ての人に対して無条件・平等に査定できる便利な数値だからです
ある程度の年齢になると、転職は難しいとか、能力やキャリアが無い状態で一度大手企業を辞めると次は同じだけの年収は期待できないとか、そういう話です。
求人募集でも、30歳と40歳が来れば、同じ能力なら30歳を起用するというものです。
こうなる原因は、若い方が動きが早いとか、頭の回転が速い、素直に言う事を聞いてくれる、というものです。確かに、年齢を重ねた人は、偉そうな物言いをする、年長者である事が災いして「俺の方が人生の先輩」面する人も多いです。年下が年長者を教えるのに抵抗がある人もいます。
しかし、それは多数派の話であって、少数派や個人を全く無視している事になります
ただ、現在の採用側は「即戦力」を求めます。教える時間や人材が少なく、スピードが重視されるので、早く仕事を覚えて役立ってくれるかどうかに採用の重点を置いてます。
そのため、年齢が高い人は、これまでの経験が生かせない、全く異業種に入ろうとすると、ゼロから教える事になるので、転職が難しいと言われてます。

ただ、ここで説明した転職はあくまで、正社員や派遣といったものです。アルバイトの大半は、年齢に関係なく従事し、数日あれば覚えられる仕事です。
しかし、アルバイトでも、適性の不向きがあります。運送業であれば車の免許が必要、飲食サービスであれば臨機応変な対応と調理の能力が必要、引っ越し屋であれば体力が無いと無理、オペレータであれば電話対応や丁寧な言葉遣いが出来るかです。
また、それ以前に、職場や店の環境に馴染めるか、人間関係に適応できるか、という問題もあります。
アルバイトでも最初は指導がありますが、それについていけない、そもそも適正に合わない人が選んでいる場合もあります。お客様相手が難しい、電話対応が難しい、そして調理や工業系の作業が難しい人は、バックヤードや、データの入力作業のような、流れ作業的な仕事しかできないです。
そして、AIの導入により、その流れ作業的な仕事が淘汰されていってます。年齢が高い程、過去に資格や技術が無く、これまでのキャリアも流れ作業的なものであると、アルバイトでも出来る職業が限られてしまいます。

そのため「ネットで収益を得よう」という人も増えてきています。そして、少ない収入でも構わないから、やりたい事を発信しながら、自分に出来る範囲の仕事(アルバイト)をする人、特に男性ですが、増えています。
ですから「他人と比較する」のは最も良くないのです。他人は高収入かもしれません。街を歩けば、若くても高級車を乗り回す人を見かけます。
しかし、彼らはどうやって高収入を得ているか不明です。会社員であれば苦しみながら高い給与で妥協しているかもしれないです。はたまた、芸能人かもしれず、YouTuberかもしれません、または裏社会の人間かもしれません(笑)。

日本では、40代の大多数は既に結婚し、子供も小学生から高校生位が平均です。ある会社の公式サイトには「30代ならA」「40代ならB」「50代ならCになるべきだ」と書かれてありました。
これは、社員に対する人間性を語ったものです。「50歳になっても、いつまでも内面が成長していないなら、仕事のキャリアも無ければ、今までどういう人生を歩んできたんだ?」というのを問いたいのでしょう。50代になれば、多くの人は既に父親や母親であり、子供が成人する頃で、若者に指導する立場になっています。
会社というのは、上下関係・昇進というものがあり、そこに人の生き方を組み込んでいます。その上下関係というのも、会社によっては年齢・年代を基準に考えます。
会社に限らず、仕事をするというのは、極論、役立ってくれれば良いのであって、その人の過去がどうとか、年齢不相応というのは関係ないはずです
しかし、年齢・年代で人を判断しないというのは、そのシステムに合わないのです


最後に、芸能界のオーディションですが、まだ年齢上限が低い事務所や企画が多いです。しかし、一部では今後を見据えて変わってきています。
年齢・年代で線引きしない、個人を見る人や組織が増えれば、日本もきっと変わるはずです


By Angel-Broadcasting


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