疑問を投げかけるのと愚痴・批判の違い

※参考・思考停止が最も危うい理由
愚痴を言うというのは、現状の自分の環境等について、解決にならないような事を、周囲の人に語り続ける事です。文句は、自分の思い通りにならない時に、他人や団体に攻撃的な苦情を言う事です。

対して、疑問を投げかける事は、何らかの状況に対して、指標やデータ、自分の考えに基づいて、提言をする、現状が良くないと説明した上で、改善策を述べる、改善の余地がない場合は何故改善が無理なのか、論理的に語る事です。
反論は反対意見を言う事ですが、反論というのは相手を受け入れない、論破してしまう攻撃的で排他的な印象があります。
そして、批判というのは改善策があまり語れない、他人や団体、例えば、政治に対する批判がありますが、改善策は、国民ではなく政治家が考える事だと思っているからです。

ですので、何かにつけて「批判的」「愚痴を言ってる」と言う人がいますが、それは違います。

当サイトにおいても、観てくださった方の中には「このサイトの書いている事って、愚痴や批判のようだな」と感じられた方もおられるかもしれませんが、それは見る側の自由だと思っています。

まず、愚痴というのは、現状の自分に対する不満から出るものです。そして、それは大抵、他人のせい、社会のせいにしています。
それでは、もし、皆さんが当サイトの一部記事において「この運営者は愚痴を言ってるな」と感じたのなら、私が現状の何かに不満があって、愚痴を言っていると思った事になります。
当サイトの内容が愚痴ならば、私は自分の何かの現状に不満があって、それに関する事をここで書いているはずなので、違います。

ネット上では「嫌な仕事を辞めて、人間関係に疲れて」という理由で、ネット収益を目指し、不労所得を得ようとしている方が多くおられます。
それでは、この「嫌な仕事、人間関係に」というのも愚痴になってしまうかというと、それも違います

一部の方はそれも愚痴と捉えてしまいそうですが、これが愚痴ではない確固たる理由があります。
まず、彼らは、ネットで収益化しようとして「行動」を起こしています。また、その「嫌な仕事、人間関係」は過去の事です。愚痴というのは現在進行形のものです。
そのブログにて、いつまでも「過去の嫌な出来事」を書き続けていれば、まさに愚痴のサイトですが、
過去にこういった経緯、理由があって、それでブログを始めている、という見方ですから、愚痴にはなるはずがないのです。何も行動を起こさずに、現状が過ぎていくだけに、他人や環境に文句を言っているのは愚痴です

当サイトにおいても、社会や人間の本質、中には発達障がい・ADHDについて説明した記事もあります。「自己愛性パーソナリティ障がい」に関しては、既存のサイトの記事は「自己愛を持つ人が社会の中で悪い存在」のような印象を受け、誤解を招きかねないので、それを批判しながら私なりの見解を述べていますが、それも愚痴にはならないはずです。

「自分ならこういう考えでこうする」というのまで愚痴になるのなら、ディスカッションすらできません。これは、自己主張でもなく、提言だという事です。

そもそも、ネットで自分発信するという事は、極論言えば、文章でも芸術的表現でも、自己主張・自己表現です。勿論、その自己主張というのが、観る側に不快な思いをさせるかどうか、全員に対しての配慮は難しいです。よくある意見が「バイアス」で語るな、ですが、そのバイアスを私は個性と捉えてます
問題なのは、バイアスの思想、捉え方により「人や社会に損害を与える、特定の人を傷つけるような事」です。
でなければ、法令を遵守し、倫理的に間違っていなければ、バイアスがあっても「個性」で良いのではないでしょうか。

最後に、リアル世界で居場所がない、仲間外れになるから、排他的だから、ネットという自分のパーソナルスペースに身を置く、そこなら「自分の好きなように発信できる」という声についてです。

束縛がないネット世界は、法令順守を守れば、確かに好きなようにできる場所です。だから、その場で愚痴や批判をしている、という見方をする人がいます。
自分の意見や言いたい事を書けるのがネット。しかし、それで「誰かを傷つけているのは悪」ですが、そうでないなら、誰も咎める事はできませんし、愚痴やストレスのはけ口でもないのです。

発信について、愚痴やストレスのはけ口としか捉えられない人は、掲示板などの本当の愚痴の書き込みと混同しているのかもしれません。ネット世界をよく知らない方はそういう風に見てしまうでしょう。


By Angel-Broadcasting

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